らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

 

自分が見ている色と他人が見ている色は

同じなのか、と昔から疑問に思っていた

 

自分の見ている『赤』は、

友達の見ている『赤』とは違う色なのかもしれない

言葉では同じ『赤』でも証明なんてできないし

その人と体ごと入れ替わってみて その人の目になって

同じものを見ることでもできない限り無理だと思う

同じ色なのに、同じ色ではない不思議

それはきっと、色は目で見ているだけではないから

 

色とは、日常の中に空気のようにあたりまえにあって

見えるけど説明ができない 豊かなもの

人は自分の色を見て生きていく

自分の思う通りに 心揺さぶる音楽のように

 

色を使った表現がふんだんに盛り込まれた宮沢賢治

本を読むと思うのだが (オススメはなめとこ山の熊)

自分の感じる色を大切にすると心が豊かになる

 

色の見本帳に名前が載っていなくても

心では知っている色たち

誰でもきっと自分だけの色を見つけて見ている

毎日の中で感じる色に 名前をつける方法は好き勝手

 

絵や映画や音楽、

それからくしゃみにケンカ、スキップ

私たちは何にでも感じる色がある

そうやって目に見えないものが見える方法を

私たちは知っている

 

かつて 月あかりに恋しい人の面影が見え、

風の音に秋の姿が見えていたように

モノクロのテレビの画面が色鮮やかに見えたように

目を閉じたときに見る夢が真っ暗闇ではないように

香水を嗅いで 懐かしい景色や声を思い浮かべるように

パン屋さんの前を通って やさしい気持ちになるように

目に見えないものを色で表すことを

私たちは知っている

 

夏の運動場の金色の地面

金魚すくいの水槽の水色と赤い尾ひれのひらひら

チョコレート色の電車と白い帽子

日が沈む直前に足元からのびる藤色の影

あおい空 ぞうげ色の昼 るり色の夜 レモン色の月

それらは全部自分だけの色

色とりどりの気持ちや、思い出や匂いには色がある

 

嬉しくて小走りで待ち合わせに向かうはちみつ色の私

大好きな人と鼻歌歌いながら散歩するそら豆色の午後

昼下がりに居眠りする白い粘土が混ざったような時間

深く冷たい海の底に沈むような落ち込んだ気持ち

薄桃色のポップコーンみたいにぶわっと咲く桜

心の動くところから、シャボン玉の虹のように

たくさんの色が生まれてくる

 

赤と黄色を混ぜてオレンジという言葉ができたように

赤っぽいオレンジや黄色っぽいオレンジがあるように

私たちはまだ名前のない色をたくさん知っている

日が沈んだあとに数分間だけ見える 燃えるような

でもどこか寂しげなあの空の色を既存する名前では

表しきれないことを私たちは知っている

 

くすんだり透き通ったりしながら誰かと混ざる

知っていても知らなくても

伸びたり縮んだり弾けたり滲んだりしながら

毎日いろんな色に生まれ変わって広がっていく

チューブから出したままのラベルの付いた色ではなく

パレットの上で混ざりきらないまだ名前のないような

不確かで だけど確かにそこにある生まれたての色

 

そんな色とりどりの日々がいとしく思えるように