らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

私って何ですか

 

私って何ですか

 

何を言ったら人を喜ばせれるのでしょうか

何をしたら人を傷つけてしまうのでしょうか

何ができるのでしょうか

何のために生きているのでしょうか

 

何何何何…

分からないことだらけで頭がパンクしそうです

私って一体何ですか

 

 

何かをすれば「余計なことをするな」

何もしなければ「役立たず」と言われます

「あれをしろ」「これはするな」…

私ってそんなに迷惑ですか 邪魔ですか いらないですか

私の意思ってどこにあるんですか

私の価値って何ですか

私はいつからロボットになったのですか

 

自分の言動が全て正しいなんて微塵も思いません

間違えることもあるし失敗することもあります

私の意見はあくまで一個人の意見でしかなくて

この星の絶対的な正論なんて思ったこともありません

だから価値観の押し付けはしないようにしてるし

押し付けられるのも真っ平御免です

人はそれぞれ自分の中の正義で生きているのだから

 

「いつでも自分が正しいと思ったら大間違いだ」とか

「あなたの考え方は間違っている」なんて言われたら

ちょっと落ち込んでしまいます

 

「相手の苦手なところがあったとしても

その分いいところもいっぱいあるんだよ

人はみんな違うし 自分の思い通りだとか

都合のいいようにはならないけど

それが個性なんだよ

自分も完璧な人間じゃないんだからお互い補い合う

そう心に余裕を持つだけで十分なんじゃないかな」

と以前アドバイスを受けたように

たった一つの言動でこの人はこういう人だと

毛嫌いするつもりはありません

でも「あなたは違う」なんて否定して

自分の価値観を押し付けないでください

 

私もあなたも人間です

血も出るし涙も出ます

我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢で

表向きの自分を繕ってきても

見えないところは傷まみれです

 

言葉にしなければ伝わらないとよくいいます

高コンテクスト文化の日本であってもそれは事実です

ですが この世は見えているものだけではありません

見えないけれど大切なものも山ほどあります

時には心を澄まして想像力を働かせることも

必要なのではないでしょうか

 

 

インドにこんな哲学があります

 

“ もし他人に贈り物をしようとして

その相手が受け取らなかったとき

その贈り物は言うまでもなく

贈ろうとした者のものになる

 

それと同じように

誰かに罵られたとしても

それを自分が受け取らなければ

それは罵った者のものになる ”

 

 

そうは言っても 真に受けてしまうのものです

常日頃、安定した情緒を意識していても

爆発してしまうときがあります

過呼吸になるくらい大声で怒鳴ってしまいます

いくら感動する映画を見ても泣かないのに

そういうときはここぞとばかりに涙が出て

翌日はパンパンに目が腫れるのです

 

お菓子売り場の子どもみたいに

四肢を広げてバタバタ喚いても

見えない圧力にかき消されてしまうのです

 

夏の暑い日の目眩のように視界は歪み

ベッドが変形するほど体は重く沈み

絡まったイヤホンのように

先端を見失った毛糸のように

出口のない迷路を彷徨い続けるように

自分が何だか分からなくなるのです

 

黒ひげ危機一髪みたいに小さなナイフで

知らないうちに滅多刺しにされて

特大の斧を振り翳しトドメの一撃で

心臓を抉られては もうボロボロです

 

 

私は悲劇のヒロインではありません

悲劇のヒロインになりたくもありません

人に弱いところを見せたくもありません

から元気に振る舞いたくもないし

ネガティブな姿はなおさら晒せません

 

誰にも100%素の自分を見せられません

誰も100%は信用できません

自分の言動で人を傷つけてしまうのも

誰かの言動に自分が傷つくのも嫌だからです

怖くて怖くて仕方なくて

そうすることでしか自分を守れないのです

 

 

仲良しだと思ってた子に陰口を言われてたり

よく遊んでた子に突然裏切られたり

「あの子ってウザイよね」と言ってたのに

何食わぬ顔でその子と話していたり

そういうのが怖いのです

 

そして 本人たちに自覚がないのと同じように

自分もそうしてしまっているかもしれないと

思うともっと怖くて堪らないのです

 

 

何を考えているか分からない不思議な人と

言われることがしばしばあります

 

引き出しの奥の奥のほうに自分をしまって

曝け出さないようにしているのかもしれません

言葉にしないと伝わらないのは知ってるのに

どう思われてるだろうとか考えすぎてしまって

曖昧な表現にすぐ逃げてしまいます

 

白か黒しかない世界なら一瞬で抹殺されるほど

ぼんやりしたグレーに染まって生きていて

人混みに埋れて かき消されないようにと

それだけで精一杯なのです

 

口先だけいいことを言う人も

八方美人でいい顔をする人も見分けれず

心を擦り減らしてきたはずなのに

白にも黒にもどっちの肩も持ちたくて

グレーでいるのかもしれません

 

でも自分がグレーでいる限り

混じり気のない白や黒からすれば

私は都合のいいヤツとしか見なされないことも

心のどこかで本当は分かっているのです

 

誰も傷つけたくないし

誰にも傷つけられたくないのに

自分でそう仕向けているのかもしれません

 

 

喜びは二倍、悲しみは半分

という言葉をよく耳にします

 

たとえば私の悩みを誰かに吐き出すとします

話をしてスッキリした私は

悲しみが半分になるかもしれません

でも残りの半分はどこに行くのでしょうか

何の関係もない相手に悩みという名の

マイナスな言葉を浴びせていれば

半分を渡すことになるのではないでしょうか

 

そう思うと人に相談ができなくなりました

相談と悪口の境が分からず

どちらも紙一重なのではと思い始めると

もう自己解決しか手段がありません

 

 

いつからか人を頼ることができなくなりました

 

人を頼ることができないということは

人に頼られることもなくなる気がします

自分が心を許さなければ

相手も心を許さないように

人間関係はそうして

成り立っているのかもしれません

 

 

人は完璧ではないから

意図しなくても誰かを傷つけてしまう

ことがあります

でもそうして歩み寄るからこそ

誰かを喜ばせることもできます

 

暗い表情をしていれば周りにも伝染するし

楽しく笑っていれば周りにも影響します

一人では生きていけないことを教えてくれます

 

 

私って何ですか

 

私には分かりません

死ぬまで分からないだろうし

死んでも分からないかもしれません

大それたことは何もできません

 

 

私は所詮広い宇宙の星屑の一つみたいに

小さなものなのです

宇宙から見たらこんなにもちっぽけで

望遠鏡も顕微鏡も使っても見えないほど

ふっと息を吹きかければ消えてしまうほど

消えてしまっても誰も気づかないほど

小さくて脆いのです

 

それでも 私は今ここに存在していて

たとえ いらない子だとか 鬱陶しいだとか

言われたとしてもその事実は変わりません

 

 

だから 誰かのためになっていなくても

誰のために生きられなくても

自分のためにだけでもいいから

自分だけは自分のことを否定したり

見捨てたり裏切ったりすることなく

認められたらいいのかなと思います

 

命は大切と言われるよりも

あなたが大切と言われたいのは

承認欲求でしかないのかもしれないけど

まずは自分で自分を認めること

 

 

苦しむために生きないで

自分を大切にすれば

周りも大切にできるでしょうか

自分を赦せば

周りも赦すことができるでしょうか

 

正解なんて何一つないけれど

自分の歩む道を正解にするのは

自分しかいないのかもしれません

誰かのために 何かのために

そんな格好いいことは何もできなくても

自分のために生きてもいいと思います

 

私の人生は私だけのものなのだから

誰かが支配したり干渉したり乗っ取ったり

できるものではありません

 

ただ一人で生きてきた気になってもいけません

どれだけの人が支えてくれたり守ってくれたり

叱ってくれたりしたことか

特に厳しい言葉を言ってくれる人は貴重です

本当にその人のことを思っていないとできないから

口だけいいことは誰でも簡単にできるから

 

 

 

 

結局のところ私って私でしかないんです

誰の操り人形でもなければ分身でもありません

 

私って何なのでしょう

 

どこにも転がってないその答えを

一生かけて探す真っ只中です

 

 

なんだか支離滅裂になってきたのでこの辺りで

 

 

 

 

 

 

 

私って何ですか

 

 

 

 

 

あなたは?