らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

競わない 比べない 争わない


私たちの多くはこれまで、競うこと・比べること・争うことを前提として生きることを教え込まれてきた 人と競い、比べ、争うことで人より抜きん出て初めて、偉いとか立派だとか素晴らしいと評価をされる という価値観で生きる日々を送ってきた


その結果、「幸せとは、競うこと・比べること・争うことではじめて手に入るのだ 人より抜きん出て、勝ち続けることが幸せを手に入れる唯一の道である」と信じて疑わなかった

 

勝つことこそが正しく、勝つために努力をしないのはダメな人間であり、競争から落ちこぼれると、社会の中でも価値がない存在であるかのような錯覚に陥ることもしばしば

 

そして、「どうして⚪︎⚪︎さんにできて私にできないの」だとか、「⚪︎⚪︎さんばっかりズルイ」だとか比較することでしか自分を表現できなかったり 自分がここにいることを証明できなかったり 安心感を味わえなかったり 時に絶望したりした 

 

勝手に競って比べて争って、勝手に情緒不安定になっている

 

他人の成績を聞き出して見下すことでしか自分の賢さを感じられないあのクラスメイトも、本当はその人はそんなこと微塵も思っていないのに勝手にそう解釈してしまう私も、どちらもPM2.5による大気汚染さながらの薄汚い思考回路をしている

 

辛いとか しんどいとか 自分なんかとか 感じる理由が「誰かと比べて」である限り、行き詰まってしまう 息も詰まってしまう


人間の価値というのは、勉強ができるとか、何か数字で判断できるような単純なものではない たしかに勉強は大事だし勉強することでその後の人生の幅が広がっていくことに間違いはないだろう 少なくとも私はそう信じて大学に通っているし実際勉強のできる人はほとんどの場合計り知れないほどの努力をしている

 

だからこそ大事なのは人と比べることではなくて自分を認めることから始まる気がする 甘口カレーとチョコレートの甘さを比べられないように同じ土俵に立たない者を比べることは無意味なんだと思う 勝手に比べられて一喜一憂する必要はこれっぽっちもない

 

自分が白い服を着るからグレーの服を暗い色だと感じ、自分が黒い服を着るからグレーの服を明るい色と判断するように、みんな自分の価値観で生きている その価値観を誤って押し付けないこと 誰にでも素晴らしい個性や存在価値があらゆるところに隠されている

 

人と競うことが好きな人はそのような生き方をすればいい だけど、競争にはキリがない 仮に勝ち抜いても、本人が満足しなければ永久に心が満たされることはなく、人を蹴落として優位に立っても孤独なだけかもしれない 


人と競い合って自分の目標を達成し、自分のためだけに生きるのも大事だけど、時には人に何かをすることで喜ばれ、自分も人の好意に甘えてそれに感謝して生きてもいいのではないか


そもそも、世の中の現象というのは、実は表裏一体なのかもしれない 特に、勝ち・負け、幸・不幸、善し・悪し、成功・失敗、敵・味方の5つは、常に分けられるように教育されてきたが、実は分けられないものではないだろうか

勝ちをつくるから負けが生まれ、特別に切り取った時間だけを幸せと感じるからそのほかを不幸に感じる 敵でも味方でもないただの相手を敵とみなすから一生分かり合えないと思い込む


ものや現象はある方向から見れば、幸せや成功に見え、また違う方向から見れば不幸であり失敗になる 見方が変わればまったく違ったものに映る だから、すべてのことをそのように分けることに意味はないような気がする


正しいか、正しくないかを問いかけるより、ただ笑顔で穏やかに折り合い、わかり合って生きていくこと 誰かを蹴落として自分が優位に立つ必要はないということ

 

比較はときに向上心になるけれど、何かと比較していると知らぬ間に何かを貶して優越感に浸る癖がついてしまう

 

大切なのは相対評価ではなく絶対評価 私たちは他の何とも比べられない絶対的な存在である それは自惚れでも過信でも傲慢でもなくて最強の自己肯定で揺るぎないもの 見た目も考え方もなにもかも異なるのだから比べないし比べられやしない

 

数字を競うことをしなかった日本人は、西洋化したことで病気になって死ぬ人が増加したらしい

 

数字を追いかける仕事をしている人はガンになりやすいと言われている 競い合ったり比べ合ったり数字に左右される生活ばかりしていると、やがて体は嫌がってしまい死ぬ方向に動くのだと言う


たとえば、100万円貯めたら幸せになれると思い一生懸命貯める でも、100万円貯めたら、1000万円持っている人がいることに気づく そして、1000万円貯めればもっと幸せになれると思い努力する しかし、1000万円貯まっても、その上には1億円持っている人がいる そして「必死」になっていくと、「必ず、死んでしまう」わけだ 100万円ない時は幸せではなかったのだろうか


つまり、数字的な幸せはどこにもないのだろう 幸せというのは私が感じる以外にはないのかもしれない

 

競わない、争わないでいると、敵を作らない それどころか、まわりのもの全てを味方にしてしまう 無敵というのは、敵を全部なぎ倒すことではなくて 敵を作らないこと 争いに来たものを全部味方にするのが無敵の本質だから

 

競わないし 比べないし 争わない

そうして周りに左右されない無敵な自分になる