らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

幸せの本質

 

何も起きず普通に淡々とすぎる日常こそ幸せの本質であると気づくと、災難とは無縁になる


あれもほしい これも足りないと言って、ずっと何かを求め続ける人がいる でも、幸せというのは今自分が置かれている日常そのものなのではないか 何も起きないことがどれほど幸せであるかということを、誰もが知っているはずなのに忘れてしまっている 毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが実は幸せの本質なのだ


幸せというのは 良いことが起きるとか、楽しいことが起きるとか、何か特別なことが起きることではなくて、むしろ何も起きないことである それが幸せの絶対的な本質でそれこそが最大の奇跡である


ところが 幸せの本質を忘れたまま、どこかに幸せがあるに違いないと言って自分を叱咤激励し、もっと私が頑なに張って成長すれば、幸せが手に入るんだと思いながら生きている人が多い


でも結論を言ってしまうと、究極の幸せというのは、努力をしたら手に入るものではないのかもしれない 人間は病気や事故、トラブルなどに巻き込まれた時にはじめて、自分が幸せの中で生きていたことを実感する


たとえば、右手を捻挫して使えなくなったとする すべて左手だけでやらなければいけないことが不便で、不幸感を味わう でも捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら、右手が使えることはこんなにも幸せなことだったのかと感謝できるようになる


果たしてこの右手が使えなかった2週間は不幸だったのだろうか?そうではない 不幸だと思っていた2週間があった結果として、それから先ずっと右手に対する感謝の心が湧いてくるようになったわけである 右手が自由に動くことでありがとうと思う喜びを1ついただいたわけだから、捻挫をしていた2週間は不幸でもなんでもなかったと分かる 病気や怪我をした事実と不幸という感情は別のものなのだ


この2週間は、罰が当たったとかペナルティーが課せられたとか、不幸があったということではなくて、この右手に感謝する心、喜びの心を1つ増やすため、何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるためにあったのかもしれない そういうしくみがわかって、自分が幸せの中にいることを認識する そして災難とは無縁になる


お金も時間も手間暇もかけないと幸せになれないという感性から、世間一般の人から見たら「だから、何?」と思われることに楽しみを感じられる、さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられる


英語で現在を「present」と言うけれど、普通に淡々と過ぎているこの瞬間は「何も起きていない」のではなく、むしろ宇宙や神様からの最高の「プレゼント」が来ているということとも考えられる

 

だから、何かが起きてくれたら幸せなんだけど…という考え方ではいつまでたっても幸せにはなれない気がする そもそもすべての人が指をさして「これが幸せだ」と言えるものかこの世にあるのだろうか


たとえば、私の思う幸せがあなたにとっては幸せでないこともあるかもしれない すべての人が絶対的な価値を持って幸せだと思えるものは、地球上には存在しない

 

たとえば、仲間たちと一緒に食事をしたり何かを見たり聞いたりしたときに、そこで幸せを感じるというのは、その人にそう感じる心があるからだろう 幸せは感じた人にのみ、そこに存在する 感じた人にのみ幸せが生まれる

 

同様に、不幸というものも、現象もこの世には存在しない どんなにお金持ちで恵まれた環境にいる人でも、本人が不幸だと思えば、それは不幸なことになる 逆に、お金がなくても、状況や環境が他の人から見て酷いものであっても本人が幸せを感じていればそれが幸せになる

 

前に、日本とアフリカのある国の女子高生が1週間家族を交換するという企画の番組を観た ある国から来た女子高生は女子高生といっても学校には通えず、毎日家族のために何十キロも往復して水を汲みにいっているそうだ 彼女は初めて100円ショップに行き、プリクラを撮り、家に帰ればあたたかいご飯が用意されていることにとても驚き目を輝かせて喜んだ

 

しかし、2.3日もすると彼女は「帰って本当の家族に会いたい」と泣いた 学校に通えず毎日重い水を汲む繰り返しでも電気も通ってなくても栄養のない根から絞ったものがご飯が食べたくて家族に会いたくて泣いたのだ そして同様に日本の女子高生もあたりまえだと思っていた日常を恋しく思い帰りたいと泣いた

 

幸も不幸も存在しない それは他人が決めることでも外的なもので決まるのでもなく、その人自身の心が決めているもの 悲しみや苦しみは実は現象の捉え方によって、幸せになってしまうこともあるのかもしれない


幸せを感じようと思えば、100や200の幸せが身の回りにあることに気がつく 毎秒毎秒毎秒毎秒、私が幸せだと思うすべてのことが私にとっての幸せになる

 

幸せはその人にのみ帰属するものであり、幸せが見つからないと言っている人は幸せを感じる心を動かしていないだけかもしれない 目の前の現象について私が何も感じなかったら、ただ通り過ぎるだけの現象にすぎないからだ

 

ところが、私がその現象を幸せだと思ったら、その瞬間に幸せなことになり、一方でその現象について不幸だと思ったら思った瞬間に不幸なことになるわけだ 事実や現象はひとつ ただ、それを受け止める側の心がその現象の価値を決めている 事実や現象と感情はまったく別のもの
その人自身の心が決める