らららの話

文が下手なので文を書きます お手柔らかに

22歳

 

昨日、22歳になった

 

数え間違えてるのではないかと思ったが

やはりまたひとつ歳をとったようだ

“もう” でも “やっと” でもなくただの22歳

 

免許の更新のハガキや年金関連の封筒、

ご飯屋さんや美容院からのバースデークーポンが

誕生日であることを教えてくれる

 

だからといって何かが急に変わるわけでもなく

今日も満員電車を乗り継いで学校に行くわけである

 

父と母は22歳と21歳で結婚したらしい

3つ上の姉には今年2歳になる子どもがいるし

いとこは昨年から4人立て続けに父親母親になっている

 

保育園の頃、2人で暮らしたことのあるおばあちゃんは

私が結婚して子どもを産むまでは死ねないと

会いに行くたびに心待ちにしてくれている

 

が、結婚どころか彼氏もロクにできそうにないから

少なくとも10年以上は長生きしてもらわないと

いけなさそうだ それまで元気でいてほしい

 

結婚や出産こそがステータスだ 幸せだ という考え自体

押し付けないでほしいと思うわけではあるが

何でも経験しない限り意見は言えないのかも、

とも思うから結婚できたらいいな

 

子どもを育てるだけの責任能力がないどころか

ペットを飼うことにも気が引ける

 

可愛い/癒しという理由で 安易に飼えないし

亡くなったから新しいペットを、なんてできない

 

そもそも動物を愛でる和やかなバラエティー番組と

動物の殺処分の惨さを訴えるドキュメンタリー番組、

両方が放送されるこのご時世に違和感を覚えるのは

私だけなのだろうか

バイトをしている雑貨屋さんのおばあちゃんが

頻繁に保護猫の赤ちゃんを育てて里親を探しているのを

見ているのもあってか、何とも言えない複雑な思いでいる

 

責任といえば、言動における責任も同じように言える

たとえば、プラダH&MDolce&Gabbanaのファッションが

人種差別だと世間で取り上げられても 私はこう思う と

ブレない芯のある自己を確立できていない

考え方は人それぞれだからいろんな意見があるものだ

と、当たり障りのないことを言ってその場をしのいでしまう

 

全ての言動に責任が伴う年齢になっているのは分かっていても

果たしてその重みを感じながら言動に移せているだろうか

 

年齢相応の落ち着いた大人の女性になりたいと

ここ数年、お決まりのように言っているが

小学生の頃に想像していた22歳とはかけ離れていると

自分でも思うから今年はそう言うのを一旦やめてみる

でも、いくつになったらそうなれるのだろう

 

星が十数個もあるてんとう虫や

教室を漂うケセランパサラン

もう見つけられなくなってしまった

 

水を流してすべり台をウォータースライダーにする発想力も

骨が折れても怖いもの知らずなチャレンジ精神も

自転車を乗り回してどこへでも行く体力もなくなってしまった

 

モスキート音が聞こえなくなったと同時に

純粋な気持ちにフィルターがかかってしまったのだろうか

 

コーヒーの美味しさはまだ分からないけれど

それでも免許証は青色に変わったし ATMの使い方も覚えた

アニメよりもニュースを自然と観るようになったし

バイトをしてお金を稼ぐ大変さも学んだ

 

妬んだり 蹴落としたり 比較したり 見返りを求めたり

顔色を伺ったり 空気を読んだり 愛想笑いをしたり

根拠もない噂を吹き込んだり 信じたり 裏切ったり

皮肉ったり 嘘をついたり 遠慮したり 感情を隠したり

 

人間の嫌な部分が目に付くようになった

そして私もそんな嫌な人間になっていく

 

両親や祖父母の時代と今は違うとはいえ、

この歳になっても経済力はまるでなくて

まだ頼りっきりの学生をしているし

精神的にもまだまだ子どもだ

実家通いであるし自立には程遠い

 

春から大学生になる子どもの親が率先してアパートを

探しているのを見て首をかしげたくなるけれど

結局のところ私も同類である

 

22歳の私はどうなるのだろう

どうなりたいのだろう

 

老いては子に従えだけど

老いたる馬は道を忘れず 老馬の智

 

自分の進む足元が暗闇に埋もれないように

自分を見失わず自分らしく素敵な人になる

 

そして、自分の幸せは自分で決める

他人と比較して一喜一憂したり

必要のないことに対して感情の無駄遣いをしない

 

望まれて生まれてこなかった、だとか

自分は要らない子、と聞くたびに心がズキンと痛むけど

その言葉通りに生きていたら 相手の思うツボだ

生まれた事実は変えられないのだから恨んでも仕方ない

そう思われて生まれてきたとしてもそれを裏切るのだ

生まれた理由がどうであれ 生きている理由は自分で決める

 

自分で決めて選んだ道を進み、そして誰のせいにもしない

 

人はこの世に存在した瞬間から死に向かって生きている

どんな生き方をしたって 嫌でもいつかは死ぬ 有限である

僻んだり怒ったりして過ごすには時間が短すぎる

私の人生は誰のものでもなく私のもの

 

あれこれと話が飛んでしまったけれど

こんなひねくれた考えばかりしない1年にしたい

 

といっても、いつも何も考えてないんだけどね

 

 

最後に、

おめでとうって言ってくれた方々ありがとうございました

ダブルピースの22歳、がんばるぞ〜〜