らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

はじまりは、おわりのはじまり

恋愛はしゃぼん玉。不規則にゆらゆら漂い、時に近づけあったり遠ざけあったり不安定な動きを繰り返しながら、最後は音も立てずに弾けて消える幼く儚い輝き。

二十代半ば、三年弱、私の初めての大恋愛はまさかのタイミングで幕を閉じた。いや、自分の意思で幕を下ろした、というのが正しい。もうこれ以上ぶつかりたくない。楽しかった記憶を守りたかった。

あの頃の春の湿った夜風にはまだ冬の余韻が残っていて、ひんやり生ぬるく混在していた。何軒コンビニを回っても売り切れなほど当時流行っていた抹茶ラテ。行くあてもなく交差点に差しかかるたびに全力で戦った行き先決めじゃんけん。点滅信号に慌てて漫画みたいにずっこけたモリタの横断歩道。負けないでを流しながら入った絶対におばけがいる公衆トイレ。目を瞑って歩くずるいゲームをしたきぬかけの路。

理由なんてなくていいってお互いわかっていながらも、もっともらしい口実を探して、うんと遠回りして散歩したあの街。昼間賑わしくしていた人たちは暗くなる頃にはどこかにかくれんぼしてしまうけれど、日付が変わっても街灯を頼りに歩けるくらいには明るくて寂しさを感じないあの街。どこもかしこも至るところに思い出が詰まりすぎているあの街を再び訪れるのは今の私にはまだ苦しい。

あの街にいた時の私は無垢で純粋で、初心で無知で、靴擦れも寝不足も心地よく思えてしまうほどに盲目ながらも、両手に収まるくらいのちょうどいい幸せをちょうどいい温度であたためることができた。好きなところ100の本なら手を止めることなく書き出せたと思う。ごくありふれた平凡な日常こそが彩り、今でも昨日のことのようにすべて丁寧に鮮明に思い出すことができてしまうほど一つ一つの出来事を噛み締め、味わってきた。

ずっと前からお互いを知っていたみたいな居心地の良さ、他の人には伝わらないしょうもない笑いのツボ、ぴったり合う波長は本当に不思議で何にも代え難かったのに泡沫の夢となってしまうなんて、いかにも人生で笑えてくる。彼の不器用な優しさと私の素朴な気まぐれさが絶妙に溶け合うような、カップの底に溜まって微妙に混ざりきらないような、そんな長くて短い三年だった。あっという間という言葉は好きではない。

大事に大事に両手いっぱいに抱えてきたはずの思い出は、指と指の隙間から砂時計みたいに密かに溢れていて、気づいた時には空っぽになっていた。掬おうと足掻く間も与えず、全部全部過去になった。アルバムのページが増えることはもうないし、日当たり抜群で一目惚れした南区の新築の部屋に一緒に住む未来はあと一歩のところで自分で閉した。遠距離のモチベーションがやっとやっと叶うはずだった。初めて一緒に行った神戸で撮った「五年後の僕たちへ」の動画で話した予想は何ひとつ実現しなかった。

この先ずっと一緒に生きていく覚悟も、さよならを言う強さも持たなかった彼。代わりに私が切り出した別れには情からくるわずかな痛みと寂しさを伴ったけれど、ほんのちょっとの勇気とドライさで執着を手放した。今まで費やしてきた時間を無駄にしないことより、これからの時間を無駄にしないことのほうが大事だとどこかの誰かが言っていた。

一番近い他人同士だからこそ必要な、お互いを慮る気持ちがいつの間にか欠け、誰よりも大切に扱うべき存在なのに心無い言動で傷つけ合ってしまった。自分の意見だけが絶対的に正しいと決めつけないやわらかい想像力だとか、なるべく相手を傷つけないために選ぶまあるい言葉だとか、そういう思いやりが私たちの中で圧倒的に減ってしまっていた。恋人という存在は口約束でしかないから、当たり前のようにある当たり前ではない繊細で脆い愛を日々丁寧に育まなければいけなかった。人は些細なきっかけで二度と会えなくなってしまう。

価値観のすり合わせは決して努力・我慢・自己犠牲とかいうトゲトゲしたものではないはずだ。お互いの未熟さ故というよりは、きっと慣れとか甘えとかからくる身勝手な持論で、きれいに畳んで片付けた気分になっていた。側から見たらはみ出ることなくしまえていたけれど、実際はくしゃくしゃに丸めてタンスの空いたスペースに無理やり押し込んだだけだった。

ボタンのかけ違いは、大抵最後の一つになるまで気が付かない。私たちはとっくにかけ違いに気づいていたのに気づかないふりをしていた。よく言えば現状維持、悪く言えば惰性。今はこんなにぶつかってばかりだけれど、私が仕事を辞め、地元を離れ、一緒に住めるような環境に私が寄せさえすれば、きっと全て解決してずっと平和に仲良く暮らしていけるはず…と言い聞かせてきたのはやっぱり幻影だった。

恋愛は縁とタイミング、とはよく言ったもので、今更繰り広げるタラレバほど見苦しいものはない。もしも出会うタイミングが違っていればこんな結末を迎えなかったのだろうか、エンドロールが流れない未来はあり得たのだろうか、などと言うのはあまりにも愚問だから。縁は異なもの味なもの。

それでも、初めて人を愛するという感情を学び、愛されるという幸福感を味わい、そしてその愛を失う辛さも経験した。できることはお互い全てしたけど、合わなかっただけ。うまくいかないことは確かに多すぎたけど、思い返せば楽しくて幸せだったことのほうが圧倒的に多かった。だからこの三年はプラマイプラ。誰が何と言おうとも私は無駄だったとは思わない、思いたくない。彼と出会ったことも好きになったことも一緒に過ごした時間も全部良かったと肯定したい、否定したくない。そう思える前向きな自分になれたことも大きな成長だと自分を褒めたい。だって、くだらないは幸せの最上級なんてなかなか思えるものではないから。直接伝えられなかったけれど、本当に感謝している。同じように私は彼の心に何か残せただろうか。

もう憎んでも恨んでもあの日々は戻らない。でも最後だからこそ、最後くらいは、せめて溢れんばかりの楽しかった思い出だけを切り抜いて、鍵のついた宝箱にそっとしまっておいてもいい気がする。道端に転がる石ころが私たちにとっては宝石だと思えたそんな些細な幸せを秘めてあの街に置いていく。人は忘れるという便利な能力を持っているから、嫌な記憶はいずれ消し去ればいい。楽しかったことだけが楽しかったまま色褪せず残ればいい。都合のいいように脚色したって構わない。そして、その記憶も上書き保存していけばいい。

私を手放さないと手に入れられなかった自由を満喫できている頃だろう。私が大っ嫌いと言ったことを思う存分していてほしい。もしいつかふと私と過ごした日々を思い出すことがあれば、こんな素敵な人と他人以下の関係になってしまったことを惜しめばいい。なんだかんだいつも許してくれて結局は自分のそばにいてくれると舐めた扱いを何度もしたことを悔やむといい。私の未来の足枷になろうものなら、それだけは勘弁して!いや、もう私を思い出すことすらないのが本望かもしれない。実際、こんなに浸ってしまっているのはむしろ私のほうで、もうとっくに次に進んでるだろうから。男は泣くな、潔く能天気でいろ!それくらいがちょうどいい。

色々思うことはあるけれど、結局今こうして幸せを願ってしまうのは、どんな別れ方をしたって皮肉にも一度は好きになった人だからなのだろうか。地獄に堕ちろ!と憎めたらどんなに楽なんだろう。嘘偽りなく心の底から、どうか幸せに生きていってほしいと願っている。私の知らないどこかで、私ではない誰かと。

変わらない過去を嘆くくらいなら、変えていくことのできる今を大切にしていくことのほうがよっぽど価値がある。人は残念ながら完璧ではないらしく、だからこそ、その不完全さが自分らしさになるんだと思う。自分ではコンプレックスに感じる部分を素敵だと言ってくれる人がいる。自分ではどうしようもないと感じるダメなところを愛おしいと思ってくれる人もいる。流した涙は数知れないし、この答えに辿り着くまでに時間はかかりすぎたけど、もう終わったことに対して彼を陥れるために費やす時間は必要ない。そんなことのために自分の残りの貴重な人生を使えない。この人と別れたら一生一人なんじゃないかとか、自分を好きになってくれる人なんてもう現れないんじゃないか、とか自己肯定感がどん底だったあの頃の私に、全然そんなことないから大丈夫だよと教えてあげたい。

私は弱いからこうして文字に綴ることで自分の気持ちを消化している。言い換えればこれが私の決意表明。人と離れるなんて大きな決断は初めてでやっぱり怖くてしんどくて二度と味わいたくないものだった。優柔不断だし、変化は不安だし、この先の保証もないし、これで本当に良かったのかは正直なところまだわからない。後悔しないと言い切る自信や確証はまだない。でもこの経験を乗り越えた先、人としての厚みが増しているはず。この選択が間違っていなかったと、自分の行動で正解にしていこうと思う。私は強くなりたい。

ただ、無理に剥がすと治りが遅くなる瘡蓋のように、今はまだほんの少しだけ痛みと向き合わせてほしい。寂しさという広くて静かなプールでぷかぷか浮いていたい。気が済んだらプールサイドに上がって日向ぼっこをしたい。もし涙が出ることがあるなら、それは未練ではなく情、今の彼ではなく過去の彼とその思い出に対しての涙なんだって。そんな安っぽい涙はプールの水とともに流してバイバイ。瘡蓋が乾いて自然に剥がれる頃には、間違いなく私は何倍も自分自身を好きになれている。人は自分を愛せる程度にしか他人を愛することはできないらしいから、きっとこれから恋愛に限らず本当に大切な縁がたくさん舞い込んでくる。進み始めたらもう振り返らない。せいぜい私が次に何倍も素敵な人に出会うための踏み台になってくれたらいい。

カップルで観ると別れるんだって、とよく聞いたあの映画。自分たちを彷彿とさせるシーンがいくつもあって、麦くんと絹ちゃんが自分たちと重なるたびにそれぞれのセリフの背景を熱弁して、他人事のように大笑いしながら二度も観たあの映画。私たちも負けず劣らずのなかなかの大恋愛だったんじゃないかな。涙あり笑いあり、感動もおふざけも盛り沢山の長編ストーリー。映画の続編は大抵つまらないとよく言うように、これにて完結。

いつか何もかも過ぎ去って過去になる。

お互い知らない自分になっていく。

“相思相愛じゃない” “疑う余地もなく愛はない”

サンキュー、グッバイ。ありがとう、さよなら。

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はじまりは、おわりのはじまり。出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつか終わる。だから恋する者たちは、好きなものを持ち寄ってテーブルを挟み、おしゃべりをし、その切なさを楽しむしかないのだ。と。
(映画「花束みたいな恋をした」より)