「本当は病気になりたくなかった だけど病気になってよかった」関ジャニ∞のライブでの安田さんのこの言葉が忘れられない
「死ぬことが分かっているから命は大切なんだ」ゲド戦記にこんなフレーズがあるように 私たちは1ヶ月後、1年後、はたまた明日でさえどうしているかなんて保証もなく想像もできない世界を生きている 永遠に続きそうな何かがあるとき 突然に終わってしまうなんて考えられないし 考えることすらしない
だけどこの世の中には見えないけれど終わりがあるものばかりで気付いたときにはもう遅いなんて日常茶飯事 「失って初めて大切さに気づく」なんて耳にタコができるほど何度も聞いてその事実を知っているはずなのに、今がどれだけ幸せなのかを気づかないでいる
人生は本当に残酷なもので、誰もが「自分にとって何か大切なもの」を失うようにできている だけど「自分にとって何か大切なもの」ができてしまうようになっているのが人生の素晴らしいところでもある
大好きな海に潜れなくても、後遺症でサングラスが必須でも、それでも病気になってよかったと思える彼の言葉に涙が出た「元の体に戻りたい」じゃなくて「今でいい」と思えることって素敵だと思った 本当はステージに立てる状況じゃないのに無理して立ってくれていたこと メンバー全員揃ってステージで笑ってて楽器弾いて歌って踊って駆け巡って、それって当たり前の光景じゃないんだと痛いほど感じた
当たり前の景色、くだらない会話、しょうもないギャグ、それらがどれだけ幸せなのかを忘れるほどに私たちは心を亡くして忙しい毎日を過ごしてしまっているのだろうか
「もっと会っておけばよかったな」「気持ちを伝えておけばよかったな」「こうしていれば ああしていれば」人はやらなかったことに対してどうも後悔しがちな生き物らしい 過去を悔やんだらキリがない
だけどどれもこれも有限でいつかは消えてしまう 近くにありすぎるとそんなことは到底信じがたいが 地球はそういうサイクルで回っている
それを知っておくことで、今まで気にも留めなかったようなことが切り取って額縁に飾りたくなるほどにキラキラしたものに変わることもあるし、見落とし 見過ごしてしまいそうな些細な出来事でさえも瞬きをするのが惜しいほど貴重なものに変わることもある
当たり前だと信じて疑わない日常がある日突然当たり前ではなくなってしまうことも決して少なくない
「終わりは始まり だけど続いてるものだよ」どこかの誰かの歌に学ぶなら、いつか必ず訪れる最後がいつであってもいいように思いきり思うがままに感情に任せて心から泣いたり笑ったりしよう
会いたい人に会いに行こう
食べたいものを食べに行こう
お気に入りの服を着てコンビニに行こう
「あとで」「今度」は頭の中から排除しよう
せっかく大好きな人が目の前にいるのなら
スマホは閉まってその人との時間に全力を注ごう
今日はこれまでの人生で一番新しい日であり
一番若い日でもあるから
“ Never save something for a special occasion. Every day in your life is a special occasion. ”
Take Hold of Every Moment という本のこの文章が大好きだ
全てのものは有限である
儚くて美しい 儚いから美しい
それは、八月の泡沫の夢のように
一瞬で散ってしまう桜のように
冬の静かな海のように
よく晴れた日の飛行機雲のように
過去をいくら悔やんでも無意味だし 来てもいない未来をいくら心配することも無意味 変えられない過去よりもどうなるか分からない未来よりも今という、この瞬間を噛み締めて念を入れて生きる
「念」という字は「今」の「心」を組み合わせたものである 今の心とは、目の前にいる人を大事にし、今、目の前のことを大事にすること
(念ずれば未来を呼び寄せられるとか、念ずれば自分のイメージどおりに未来を作ることができるとはそういう意味ではない)
だから、自分の人生について何も考えずいきていけばいい 未来のことを心配したり、考えたり、招き寄せようとする必要はない 過ぎてしまった過去についてクヨクヨしたり、ああすればよかった、こうすればよかったと言うのも取り戻せないのだから意味がない
人生は全て自分の書いたシナリオどおり