らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

違うということ

 

エスとかノーとか

嘘とか本当とか

正義とか悪とか

合っているとか間違っているとか

 

この世は虚栄心で溢れているし

相手が嫌な思いをすると分かっていても

してしまうこともある

苦手な人にもいい顔をするし

テスト前には全然勉強してないと

平気で嘘をつく

 

そもそも 私たちは何を根拠に正しいと言っているのだろうか

正しいも間違っているも人が定めたものではないのか

 

だから 私とあなたで考え方が合わないこともあるだろう

私の中の正しいと あなたの中の正しいが違うこともあれば

それが原因で知らぬ間に誰かを傷つけることもあるだろう

 

答えが1つだけとは限らないように

おはようが陽が昇ったときの挨拶とは限らないように

平等と正義がイコールの関係でないように

悪役がいるからヒーローが成り立つように

 

何に価値を見出すかとか

何が普通とか

何が当たり前とか

何が常識とか

どれだけの人を指して “みんな” と言うとか

 

辞書に決められたルールがあるわけでもなくて

あなたと私でいつも同じだとは限らなくて

人によって各々の考え方があっていいのに

「こうであるべきだ」「これがステータスだ」と

あたかも自分の基準が全てであるかのように

周りに押し付けたり 求めたりしてしまいがちである

 

勝手に線を引いて、勝手に一喜一憂する

 

正しい答えはいつでも1つという時代はもう終わった

示された正解をそっくりそのまま鵜呑みにして信用して

これはこうだ と言われた通りに納得するのは

 

私たちは自分自身で考える力を持っている

与えられたものをそのままに受け取るのではなく

一度立ち止まって疑って考えることが私たちにはできる

 

試行錯誤を繰り返しながら 自分で答えを探求していく

それにはもちろん責任が伴うけれど

 

だから私の話すことは世間一般論ではなく

一個人の意見でしかないわけで

ゆえにいつでも話すときは

主語がいつも自分でなければならない

 

「主語は自分」で発信することの大切さ

主語は可能な限り小さく

 

自分は何者でも、何を代表する立場でもないという自覚

勝手に総意をまとめない

 

だから何を言われようが 何をされようが

そういう考えの人もいると思うことにする

正義も正論も普通も人によって違うから