らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

怒りと悲しみ

 

(ここで話す “怒り” は、怒ると叱るの違いに

ついてなどではなく単純に怒ることについてである)

 

 

昔、私はよく怒っていた

 

「普通はそうじゃない」

「当たり前のことを聞かないで」

「それはあなたが間違っている」

「適当なこと言わないで」

 

そう言われるたびに腹が立った

あなたのものさしで私を測らないで、と

 

私はいつでも真剣だったのに受け入れてもらえなかった

勝手に決めつけていろんなことを言われた

私のことなんて何も知りもしないのに

知らない人に限って否定したり鼻で笑ったりした

自分のことを分かってくれる人が少なすぎると思った

 

その度に感情的になって大声で叫んで

何かを蹴飛ばしたいような気持ちになった

でもその怒りは届かなかった どうにもならなかった

 

THE BLUE HEARTS の少年の詩という曲に

こんな歌詞がある

「どうにもならない事なんてどうにでもなっていい事」

 

怒ってもどうにもならないこともある

感情的になって 泣いて 怒鳴っても

そのエネルギーが相手に届かないのであれば

怒り損である

 

もちろん、怒ってどうにかなることに対しては怒ればいい

意味がないことを一生懸命にすることに意味がある場合もある

 

だけど、怒ってもどうにもならないことに対して腹を立てても

しょうがない 仕方がない

どうにもならないことはどうにでもなっていいこと

それは諦めとも呆れとも少し違う気がする

 

どうすることもできなくて、相手にも自分にも腹を立てる
心が止まらなくなる あれは、悲しかったんだ

分かってもらえないことが悲しかったんだ


青い青い涙のようなこころ

 

悲しみを受け入れられないとき、それは怒りになる

その怒りを時間の流れと一緒に、胸の奥に沈めて耕す

すき込んでは、何度も耕す

そうして怒りは悲しみの正体をあらわす

そしていつのまにか遠くなっていく

 

遠くなった怒りは悲しみとなり、

そしてもっともっと遠くなると切なさに変わる

 

切なさは悲しみより、少しあたたかい

どんな悲しみも自分のからだの一部に思えるようになる

 

腹が立つことがあったとしても

この人はこういう人なんだと受け止めることにした

そういう考え方をする人もいるんだと思うようにした

受け入れるのではなくても受け止める

 

相手にどうこうしてほしいと求めてはいけない

自分のものさしで測ってはいけない

相手は自分のために生きているわけではないから

人に変わってほしいと願うより自分が変わるほうが

簡単かつ楽しい

 

観光案内所というバイト柄か、

理不尽に怒られることもしばしばあるが

そういう考えもあるよねと受け止められるようになった

 

怒ってもどうにもならないことばかりの世の中に

また腹を立てたくなることもあるけれど

そんなに気張って生きなくてもいいと思う

 

怒ってどうにかなることは

怒らなくてもどうにかなる