らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

おばあちゃんへ

 

夜、裁縫をしていると病院から電話がかかってきた 電話越しの声からおばあちゃんがかなり危ない状態だと察しがつく 間に合え間に合えと心で唱えながら40分ほど車を走らせて母と妹と病院へ向かうと、看護師さんが呼吸器を使って 何とか保たせてくれているところだった 病室に入ってほんの数分でおばあちゃんをつなぐ機械が0という数字が表示する テレビでよく見る光景と同じだった

 

おばあちゃんが亡くなった

私にとって理解できる初めての身近な死だった

 

乾燥のせいか分からないけど おばあちゃんの目尻は涙で濡れていて、次第に冷たく硬くなっていくその肌を 私は怖くてどうしても触ることができなかった

 

ここ1.2年でおばあちゃんは一気に体を悪くした 入退院を繰り返し、自宅でデイサービスを頼んだり 介護施設に入ったり忙しなかった 体が気持ちについていかないもどかしさにかなり疲弊していたと思う 今おじいちゃんが電子レンジの使い方も知らないくらいおばあちゃんは家事を全てこなす人だったから、車椅子を押してもらったり ご飯を食べさせてもらったり お風呂もトイレも自力でできないのは 私たちの想像以上に辛いことだったかもしれない

 

私は大学の授業やアルバイトのために車で40分の距離を頻繁に通うことはできなかったけれど、時間を見つけては病院でも施設でも会いに行った バイトが終わって夜会いに行くこともあればここ最近は丸一日休みがあれば友人ではなくおばあちゃんと会うのに時間を使った 「あの時こうしていればと後悔したくないからできることは全部したい」と合間を縫ってはほぼ毎日顔を見せに行ってた母がそばにいたから、私も生きてるあいだに伝えなきゃいけない感謝を見落とさずに済んだ

 

亡くなる2日前の25日もバイト前におばあちゃんに会いに行っていた ちょうどその日友人とラインで「感謝の気持ちは伝えられるうちに伝えなきゃ」という話をしていて、「私ってもっと周りに感謝することだらけなんじゃないか」と考えていたところだった 数年前に耳が全く聞こえなくなったおばあちゃんに私の声が届くことはなかったけれど「私のおばあちゃんでいてくれてありがとう」と伝えておけてよかったと心から思った「調子が悪いときは目も開けないし言葉も発しないよ」と毎日のように病院に通う母は言っていたけど、私が行くとその話がウソみたいに毎回「また来てね」と言ってくれた 無理をさせてしまったのかもしれない おばあちゃんは弱い姿を母の前でしか見せなかった

 

「また」がくることってどれほど幸せなんだろう

 

だんだん痩せて弱っていく姿を見ては泣きそうになったけど、おばあちゃんの前では絶対泣かないと決めていた 泣いたら本当に死んでしまう気がして、家に帰ってベッドで一人泣いた 泣いて眠れない夜はおばあちゃんが元気になったらしたいことを考えた 100日後に死ぬワニの話じゃないけど「死」を意識してはじめて「生」を強く感じるんだとわかった

 

食べることが大好きだったおばあちゃんがご飯を食べれない姿を見るのは胸が締め付けられる思いがした 細くなった血管は何本もの点滴に耐えられず内出血していたし手と足はパンパンに浮腫んでいたけれど、手を握るとほんの少し握り返してくれるのが嬉しかった 体温はかなり低くなっていたけれど、それでもぬくもりを感じられると生きていることを実感して安心した

 

おばあちゃんは私の前で 苦しいだとか痛いだとか怖いだとか一度も言わずただ頑張っていた 会うたびに、いつそれが最後になっても後悔のないように手を握り、抱きしめ、ありったけのありがとうと大好きを伝えた 呼吸器をつけて声を出す力もない中で「また来てね」と言ってくれたのが私の聞いた最後のおばあちゃんの言葉だった 手をブンブン振りながら「また来るね」と病室をあとにすると、目を開けるのがやっとなはずなのにドアが閉まるまで目線で見送ってくれた

 

数週間前には「おかわりないの?」なんておいしそうにお饅頭を食べてたのに、先のことなんて本当にわからない 人って思った以上に脆くて崩れやすくてあっけない

 

人は生まれた瞬間から死に向かって生きている 君の膵臓を食べたいという本の通り、人はいつ死ぬかなんて誰にもわからない あと1.2ヶ月ですねと言われたおばあちゃんは1.2日で亡くなったけれど、おばあちゃんより先に病院の帰り道で私が死んでいたかもしれない 思ったことは思った時に伝えないと後悔する

 

私はおばあちゃんが大好きだった

 

私が洗い物するから座ってていいよって言っても動かずにはいられないところも いつもお手伝いありがとうとこっそりお小遣いくれるところも 私たちの写真をずっとリビングに飾ってくれていたところも 誕生日にあげた派手なピンクのスパンコールのポーチをボロボロになるまで使ってくれてたところも お化粧や洋服が大好きでお洒落だったところも 年齢に関係なくみんなに均等にお年玉をくれてたところも 毎学期通知表を見せに行くのを楽しみに待っててくれたところも 料理が上手で張り切って作り過ぎてしまうところも全部全部大好きだった

 

中でもおばあちゃんの作る茶碗蒸しは本当においしくて何度も家で真似したけどうまく作れなかった 入院してすぐの頃、「茶碗蒸しの作り方教えてほしいから早く良くなってね」と伝えると「じゃあ家に帰れるくらい元気にならなきゃな」と言っていた

 

成人式はお母さんの振袖を着た 特にこだわりがなかったのもあるけど、おばあちゃんがお母さんのために選んだ振袖を着て見せたかった だから式が終わると同窓会には参加せず一目散でおばあちゃんとおじいちゃんの家に向かった

 

本当に大好きだった

 

私は年々、人に自分のことを話すのが苦手になっていた 自分の話なんて興味ないかなとか話長すぎって思われてないかなとか深く考えてしまって家族にも仲の良い友人にもあまり自分のことを話せなくなっていた 「嬉しいことは2倍、悲しいことは半分」とよく耳にするけれど、悩みごとを話したら相手にその半分を背負わせてしまう気がしていつも自分の心の奥深くにしまって鍵を閉めては聞き役に徹していた

 

だからあれもこれも聞いてくれるおばあちゃんの存在は私にとってすごく大きくて一緒に住んでいなくても心の拠り所となっていた おばあちゃんはよく「うーちゃんにはうーちゃんにしかない良いところがいっぱいある」と言ってくれた だからこんな楽しいことがあっただとか、嬉しいことがあったとか 頑張っていること 上手くいかないこと 悲しいこと 苦しいこと 傷ついたこと 傷つけてしまったかもしれないこと、何でも話せた 何でも聞いてくれた

 

悲しいことに、私たちは大切な人を失うようにできている 誰かを大切に思えば思うほど失うときのダメージも大きい こんなに悲しい思いをするなら出会わなければよかったと思ってしまいがちだけど、そんなことはない いなくなることがこんなに辛いと思えるほどの人に出会えてよかったって思えたらほんの少し強くなって優しくなれる

 

自分本位で不謹慎な考え方かもしれないけど、おばあちゃんは苦しみながら私たちにお別れをする気持ちの準備期間を与えてくれていた気がする 心の準備はできているつもりだったけどそれでもどうしようもなく悲しかった でもそれでも静かに受け止めようと努めることができた 受け止め、受け入れると涙は悲しみだけのものではなくなった

 

おばあちゃんとのキラキラした思い出は静かに宝箱にしまっておく もしまた何かおばあちゃんに話したいことがあったら、思い出して泣いてしまう時があったら、その宝箱をそっと開けて今日に戻るんだ 楽しみにしてくれていたボーイフレンドも就職もまだだから、心配させてしまってるかな

 

今夜は静かな雨が降る

雨の音を聞きながら、留学中に届いた2通の手紙を読み返している「あと十ヶ月もすれば会えますね、心はずみます」まだ1ヶ月しか経っていない頃なのに心弾ませて残りの10ヶ月を待ってくれてたんだと思うとおばあちゃんがどうしようもなく恋しくなった

 

私のおばあちゃんになってくれてありがとう

私のおばあちゃんでいてくれてありがとう

まだまだ未熟な私だけど、

うーちゃんのおばあちゃんで幸せだよと言う

あの笑顔が見たくて頑張るから

もう頼らなくても大丈夫になるから心配しないで

苦しまないでゆっくり休んでね

 

解きかけで残ってたクロスワードの本を

持って帰ってきて毎晩寝る前に少しずつ進めてるよ

所々に残ってるおばあちゃんの字を見つけるたびに

あーでもないこーでもない と言いながら

こたつで一緒に解いていた頃を思い出すね

寂しいな

もう手を握ることも 抱きしめることもできないなんて

やっぱり耐えられないほど寂しいよ

 

一緒に食べに行ったご飯屋さんのメニューとか

かわいいと褒めてくれた髪型とか

散歩でよく通った道とか

隣に布団敷いて寝るのが好きだったお泊まりとか

夏には庭の水道で冷やしてくれてた西瓜とか

思い返すとキリがなくて

苦しくなって仕方ないけど 楽しかったなって思うよ

 

どこにいても いつまで経っても私のおばあちゃん

また会おうね 大好きだよ ずっと