らららの話

文が下手なので文を綴ります お手柔らかに

無機質

ラインとかメッセンジャーとか

そういった類がいつまで経っても苦手

 

文字だけしか情報がなくて

文字だけが全てだから

汲み取るとか 誤解とか すれ違いとか

面倒で難しくて嫌になる

 

そういうのに頭抱えて

神経すり減らして

時間割くのって疲れる

世知辛い世の中だ

 

雑踏の片隅で という曲にこんな歌詞がある

「右手で文字を操りながら

実際の表情はさて置いて

顔文字に感情を込めながら」

 

エクスクラメーションマークの数で

感嘆の度合いは伝わらないし

笑顔の絵文字の瞳の奥は

笑っていないようにも思える

 

もともと文字でのやり取りが苦手で

何日も何ヶ月も空けてしまうけど

それは故意の無視ではなくて

私なりにいつも頭の片隅にあって

どう返信しようと考えてはいる

それを言い訳だという人もいると思う

 

だけど頭の片隅にあるということが

もうすでに心を疲弊させているのだ

 

家族からや業務連絡、決め事は

できるだけ…できるだけ早く

返信するように気をつけているものの

それだけで手一杯になってしまっている

 

常にスマホを触っているような人間のはずなのに

なんでたった一言の返信ができないのか と

言われるのは百も承知だろうけど

 

根本的なことを言うと

人といるときにスマホを触っている

という行為がまず苦手なのかもしれない

 

自分といる人にそうされるのが苦手で

故に自分もそうしないようにしている

だから基本的に一人でいるときにしか使わない

 

画面越しの人とのやりとりももちろん大事

だけど今、目の前にいる人はもっと大事

その人とだけの時間にしたいとは確かに思っている

 

でも早い返信を求める人からしたら

やっぱりそれは言い訳でしかなくて

だからその証拠に既読無視・未読無視

なんていう如何にもマイナスな言葉ができて

それがきっかけで人間関係が

どうこうなってしまうこともある

 

友だちとの繋がりは、心や気持ちであって

スマホだのメッセージアプリだのWi-Fiだの

ではないと思っていた

 

だけどそんなのは綺麗事で

今はフォロワーの数が友だちの数で

thumbs-upの数こそがステータスになっている

 

メッセージの返信が遅い私みたいな人は

きっと釣れないつまらない奴に位置付けられる

 

来月遊ぶ約束をしている友だちからの

日にちの確認のラインを開き損ねていた

 

慌てて返信したけれど見て分かる

怒らせてしまった 返信の文面が怒ってる

 

こういうのでギクシャクするのが嫌なのだ

やきもき というか相手を勘ぐるというか

友だちとの関係がこんなことで崩れるのが嫌だ

「こんなこと」が「こんなこと」ではなくなっている

でもそうやって自分で友だちを減らしているのかも

私の勘違い 独りよがりだったならいいのだけど

そんなオチも無きにしも非ず どっちみち疲れる

 

学校で毎日会っていたら 教室で「あっ」と思い出して

授業3分前に話して済むことなのに そうではいかない

 

いつどこで誰と何をしていても

その場にいない人と繋がることのできる

スマホという存在を不便に感じる瞬間

冷酷だけど必要不可欠な無機質的な存在

 

私が小中学生の頃はスマホ所持者は少数派で

私も持っていない一人だった

 

おもしろいテレビの話は次の日学校でしたし

休日に遊ぶ約束は口頭で済ませたし

自転車で登下校中にするおしゃべりが楽しかった

たまに好きな子と固定電話で話すのが新鮮だった

電話越しの声が何処と無く照れくさかったり

あの子は今何してるのかな、なんて

会えない人のことを考えるのはワクワクした

 

クラスみんなにプロフィール帳を書いてもらったり

仲良しの子と交換日記をしたりもした

 

スマホを持つようになってから

そういうことしなくなったなとつくづく思う

 

雑貨屋さんでどれが喜ぶだろうって考えながら

便箋やポストカードを選んで 手紙を書き

封を閉じて切手を貼ってポストに入れて

そろそろ届いたかなって返事を待つなんてしなくても

指先ひとつで連絡が取れてしまう ほんと便利になった

 

留学先のホストファミリーやクラスメイトとも

遠くに住むおじいちゃんおばあちゃんとも

大学が離れた友だちとも

すぐそこにいるみたいに会話ができる

 

だけど便利になるということは裏を返せば

何か世間一般に「面倒」だと言われる工程を削るわけで

それが何となくかなしくも感じる

 

それでも世間の荒波に抗うなんてできるわけなく

流れるプールみたいに静かにその変化に乗っかるしかない

 

だから今日も、頭を抱えながら右手で文字を操っている

実際の表情はさて置いて顔文字に感情を込めながら